ドストエフスキーの『死の家の記録』に究極の拷問という話があります。それは「無意味な労働」のことです。
半日かけて穴を掘って、半日かけてまた埋めていく。その繰り返しというような仕事に人間は耐えられません。
しかし、同じ様な労働であっても、そこに他者との「やりとり」さえあれば人間は生きてゆけます。たとえ、穴を掘って埋めるだけというような作業でも、人がいて、一緒にチームを組んで、プロセスの合理化とか、省力化とかについて、あれこれ議論したり、工夫したりしながらやれば、そのような工夫そのもののうちに人間はやり甲斐を見出すことが出来ます。後で埋めるだけの穴であっても、上手く掘ったり、手間をかけずに埋めるノウハウを開発して同僚からの敬意を勝ち得るというようなことがあれば、人間はそんな仕事にでも喜びを見出すことができます。
仕事の話で人々が忘れがちなのは、このことです。
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| — | (内田樹『疲れすぎて眠れぬ夜のために』P81より) (via breathnoir) (via dannnao) (via suzukichiyo) (via reistorm, breathnoir-deactivated20120117) (via suzukichiyo) (via eternityscape) |






